香川句会報 第43回(2014.9.20)於、サンポートホール高松

事前投句参加者の一句

屋敷蛇起こさぬように藁を打つ 稲葉 千尋
湯に染まりゴム毬となる月に恋 中野 佑海
なすび漬け介護する人される人 尾崎 憲正
明後日は氏神さまの秋祭り   木 繁子
三日月や千艘の舟緋の遊女 上村良介改め・・銀  次
人体の芯まで青い霧の音  月野ぽぽな
季寄せ繰り下五と格闘長き夜 野澤 隆夫
桃の箱抱いてゆくなり母の里 桂 凛火
稲妻は宇宙へ映す生命線 増田 天志
宵闇に猫の眼光る閻魔堂 古澤 真翠
狸の屍(かばね)片寄せ車列うららなり 野田 信章
がらんだうの体蜩棲み着くか 亀山祐美子
出穂どき母の背中もピンと伸び 漆原 義典
満月のどこかに水を捨つる音 高橋 晴子
秋天や妖怪体操「今何時?」  藤田 乙女
こつんと赤こつんと緑まんじゆしやげ 小西 瞬夏
とんぼうやそんなについて来られても 久保 智恵
草で切る傷あと朱夏の果てにけり 丸亀葉七子改め・・郡 さと
月下美人咲く産道をひろげつつ 加藤 知子
折鶴の脚みつけたり曼珠沙華  三好つや子
絽のきもの解けば万のうすばかげろう 若森 京子
聖女でも悪女でも曼珠沙華でもない 柴田 清子
?鳴き止まず火の鳥になるを待つ 小山やす子
オフの日に背筋伸ばせば鰯雲  中西 裕子
曼珠沙華大きな人の歩む畠 KIYOAKI FILM
満月を詰めるだけ詰め一書簡 谷 孝江
かりん煮て火宅の人の静かなり 重松 敬子
叱られて秋のカーテンにくるまる 三枝みずほ
月光に透けたり言の葉うらまで  竹本 仰
伝道師否革命家いぼむしり  市原 光子
雨あとの空みずみずし秋燕 景山 典子
酸橘もぐ中天を水奔りたる  矢野千代子
稲妻 きづいてくれなくてもいいよ 高岡 晶美
遠花火生まれた場所に戻りけり  田村 杏美
夕花野ある黒猫のものがたり 野ア 憲子

句会の窓

亀山祐美子

特選句「遠花火生まれた場所に戻りけり」花火が生まれ華やぎ散りゆき、やがて生まれたとき以上に闇が深まる。歓声の中の静寂は「遠花火」という俯瞰があってこそ意識できるものだろう。『花火=人生』と見るのは穿ち過ぎかも知れないが、「遠花火」を際立たせる闇そのものが「遠花火」の生まれた場所であり帰る場所であることは間違いない。人として生きる間は少しでも煌めき輝きたいものだ。この句、主役は闇か花火か花火ならもっと遊ぼうではないか。さて、問題句「立葵アクシデントはブラジャーに」の横に「半身は楽園にあり水蜜桃」なる破礼句。やるな海程香川句会!立葵の花は見ようによってはブラジャーに見えなくはない。しかし、「アクシデント」とは何ぞや。個々ご想像にお任せしますでは、余りに大雑把過ぎないか。これでもか!という駄目押しの舞台設定を次回は期待したい。脇が甘い。残念。

野澤 隆夫

丸亀町・ドーム下では水戸市の物産展も開かれ、気持ちのいい九月「海程」香川でした。今回の小生選句、いつもと同じですぐに景色の浮かぶ句が好きです。特選句「ウエスタンブーツの女に野分来る」すぐにマリリン・モンロー。そして映画荒馬と女=ィクラーク・ゲーブル、ジョン・ヒューストン監督、ネバダ州。野分来る≠ナ俳句の世界に戻りました。アサグモヨシ」マンジユシヤゲカイカセヨ%d文で見せる俳句かと。良かったです。お世話になりました。

中野 佑海

特選句「オフの日に背筋伸ばせば鰯雲」秋の清々しさと、休日の解放感を上手く捉えていると思います。心が爽やかに成りました。くよくよと考えず、笑って楽しく上と前を向いて俳句作ります。上村さん、鬼の攪乱ですね。良くなられて良かったです。上村さんの笑い声が聞こえないと、句会が盛り上がりません。では、お互いに元気で豊の秋を堪能致しましょう!

景山 典子

特選句「伝道師否革命家いぼむしり」カマキリには、何かをじっと考えているような、只者ではないようなイメージがあります。カマキリの長い思索の先には一体何があるのだろう?伝道か、いやそれよりも革命を企てているのかも知れないと思った作者に共感します。問題句「満月を詰めるだけ詰め一書簡」満月と書簡の取り合わせは面白いと思いますが、「満月を詰める」のは、手紙になのか、あるいは自分自身の中になのか、あるいはもっと別の意味があるのかという点に疑問を感じたため、問題句としました。

増田 天志

特選句「湯に染まりゴム毬となる月に恋」やはらかき丘より覗く赤き月。特選句「三日月や千艘の船緋の遊女」千という誇張が詩情を生んでいる。問題句「火達磨や月に大きな魚の骨」西東三鬼の句、秋の暮大魚の骨を海が引く、が脳裏浮かび選べなかった。全く別の句なんですが。

稲葉 千尋

特選句「いくさまたどこかの国で稲を刈る」この地球のどこかでいつも戦がある。でも、私は「稲を刈る」このギャップと現在を、なんの力みもなく言い得た、と思う。特選句「稲妻 きづいてくれなくてもいいよ」一字空けの効果はいかにもと思うが、私は「稲光り」の方がリズムも善くなると思います。中七以下は見事です。

尾崎 憲正

特選句「満月を詰めるだけ詰め一書簡」満月の美しさを語る書簡の相手とは、一体どんな人なのか気になるところです。月も清らかであり、人の交わりもさぞすがすがしいのでしょう。見事な表現だと感心しました。問題句「灯火親しセブンイレブンも落書きも」よくわかりませんでした。

漆原 義典

特選句「月光に透けたり言の葉うらまで」は、中秋の名月の光が鋭さが感じられる素晴らしい句だと思い特選にさせていただきました。問題句「聖女でも悪女でも曼珠沙華でもない」は、女性の艶やかさ、なまめかしさを曼珠沙華と対比させ素晴らしい句だと思いましたが、語数に少し違和感が感じら問題句とさせていただきました。

加藤 知子

特選句「半身は楽園にあり水蜜桃」色々の悩みなどあったとしても日常の平平凡凡の暮らしに身が置ける幸せを感じさせた句。問題句「伝道師否革命家いぼむしり」拙句に「人ごろし否人たらし月見草」があるので一言。ある方から人たらしの月見草では何も始まらないと言われ、私は「人たらし否人ごろし水中花」と変えた。そういう意味で、掲句は成功しているのかどうかわからない。「秋水を傷つけてしまったような白」は「日」と訂正があったが、「白」のほうが上5中7を受け止めきれて面白いと思った。作者には失礼かもしれませんが。

桂 凛火

特選句「人体の芯まで青い霧の音」さびしい世界ですが、静謐な世界観に心惹かれました。霧には音はないでしょうが、耳をそばだてているような感覚の鋭い感じがよく表されていると思います。ない色とない音が凝縮されて硬質な句だと思います。問題句「秋水を傷つけてしまったような白」秋らしい透明感のある句のように受け止めるのがいいのか、幸徳秋水の悲運を読み取るのがいいのか迷いを誘導しているのか、やはりちょっとそこが気になりました。勝手な深読みなのかもしれませんが・・。秋の季語と人名とうーん区別は難しいですね。

竹本 仰

特選句「月下美人咲く産道をひろげつつ」これは、潮汐力と出産の関係の、その前奏のことかなと。月夜にほんの小一時間も咲いたかなと思うと、濃い匂い。ああ、これが生物のみなもとなんだ、ドラマが今、たしかに始まりましたよと、作者は普遍の鼓動を感じているのでしょう。大きなドラマがコンパクトにたたまれ、その深呼吸のひとつが伝わりました。特選句「かりん煮て火宅の人の静かなり」長い長い若気の至りで、あんなにたくさんの人を苦しませ、それなりに人の人生を踏みにじって来たって言うじゃないか、それが、小さく咳なんかして、いま、ことことと火加減を丁寧にはかりながら、やっぱり自分の養生のためなんだろうかね、ほら、あそこでかりんを煮ているよ。何か、そんな隣人たちのひそひそ話が聞こえてきそうです。かりんは、とてもナマでは食えないのです、やはり煮込まねば。それにしても、「煮」の字の「れっか」が妙に気になりますね。業火というようなもの、感じさせます。問題句「三日月や千艘の舟緋の遊女」何だかとても面白い雰囲気なんです、華やかで、不吉で。しかし、それだけに、何か緊張を強いる(または空白化する)一点が要るように思います。

三枝みずほ

特選句「月下美人咲く産道をひろげつつ」生命の誕生を月下美人に託し表現していて、神秘的な印象を受けました。月下美人が咲く日に生まれた子の人生もミステリアスになりそうで、余韻が感じられる句です。問題句「聖女でも悪女でも曼珠沙華でもない」今季語を勉強中ですが、植物の季語の使い方、私にとっては難しいです。その中でこの句の「曼珠沙華」は効果的なのか、議論してみたい気になる句でした。

郡 さと

特選句「明後日は氏神さまの秋祭り」 以前、全国各地の有名なお祭りを巡った。伝統ある華やかな祭り、勇壮な踊り、夜風に乗る嫋々とした楽の祭り、色々。。。それぞれ良かった。今これ等の祭りを思い出しながら、氏神さまの祭りこそ何にも代えがたく、例え地味でも誇れるものは無くても、一番心寧らぐお祭りだと思えるのだ。明後日に祭りを控え、恙なく送ったこの一年、実りの秋を迎えることのできた安心が読んでとれる。

三好つや子

特選句「人体の芯まで青い霧の音」幽界へ誘われそうな霧の深さと、怖さを感じた。上五と中七の言い回しが巧み。特選句「秋水を傷つけてしまったような白」秋の水と光をこんな風に詠むなんて・・・すごい。問題句「犬蓼の風や昭和天皇史」興味深い句ですが、犬蓼と昭和天皇史の関係が理解できない。

古澤 真翠

特選句「月光に透けたり言の葉うらまで」月の光と言の葉を透けるという表現でつなぐ感性を学びたいと思いました。

若森 京子

特選句「ヤマモモ煮る銃後の語感近づけり」自然を食する人間の日常の美しい営為の陰にも絶えず人間によって全てを破壊する戦いの語感を予知している。特選句「狸の屍(かばね)片寄せ車列うららなり」自然破壊によって、けものみちも、高速道路になり、この様な光景はよくある。〈車列うららなり〉に、何もなかった様な日常に、狸の屍が哀れに思われる。

KIYOAKI FILM

特選句「伝道師否革命家いぼむしり」好いと感じる。伝道師の本質が見えるのが、人間としての愚であるとも言えるものであれど、美しくもある。「伝道師否革命家いぼむしり」好きです。「否…いぼむしり」に共感。特選句「こつんと赤こつんと緑まんじゅしゃげ」感想は…リズムが気持ちよかった。特選です。問題句「迢空忌パズルに仮名の窓あまた」難解とは言えることができない。難解と言っても、それのみであり、批評ではない。でも僕は批評なんてできない(泣)。だから、何も言うことが無い。直観で! 直感で申すと、凄い・一句。

月野ぽぽな

特選句「こつんと赤こつんと緑まんじゆしやげ」花の色と茎の色の輪郭のくっきりした様を「こつん」と表現。動詞を一切使わないミニマルな表現のインパクトと植物のインパクトとの響き合いもある。

田村 杏美

特選句「酸橘もぐ中天を水奔りたる」に惹かれました。酢橘についた水滴が、もいだ瞬間に、空の高いところを勢いよく飛び散っていく。みずみずしい空間と景が目に浮かびます。問題句「立葵」どんなアクシデントが起きたのかは、読者の想像にお任せしますというところでしょうか。立葵の姿からも、いろいろと妄想?のふくらむ楽しい一句です。さて、今回、句会参加者に好評だったフォーチュンクッキーをご紹介させていただきます。クッキーには、松山市出身の若手俳人・神野紗希さんが、恋の俳句を集めてつくった俳句恋みくじが入っています。俳句好きにも、女性陣にも、お土産として喜ばれることまちがいなしです♪子規記念博物館そばの『歩音−あるね−』(松山市道後湯之町3-16)にて購入できます。また、こちらには、俳句にちなんだ季節のスイーツが楽しめるカフェも併設されておりますので、ぜひお立ち寄りください。

中西 裕子

特選句「なすび漬け介護する人される人」なすび漬けの鮮やかな色とおいしさに、介護する人もされる人も心癒されるひとときを持てたのでしょうか?優しい句だと思いました。「ひとりにも飽きて鶏頭買ひにゆく」買いにいく花は、なぜか重厚な鶏頭ですね、ほかの花ではなく。人恋しい気持ちなのでしょうか?気になります。問題句「舟のエンジンいきなりかかり鰯雲」舟のエンジンがいきなりかかり体が揺れて空が見えたのでしょうか?想像すると楽しくなります。いい季節になりました。いい句が浮かびますように。

 
銀    次

●今月の誤読。「聖女でも悪女でも曼珠沙華でもない」。むろん「聖女でも悪女でも」が結びの「ない」につながっていることはいうまでもない。男性の理想の女性像として「昼は淑女、夜は娼婦」なんてことがいわれるが、当のオンナどもはどう思ってるのだろう。まあ、フェミな女性なら、ふざけんじゃないわよ! 勝手なこといわないで! とご立腹めされるのは想像に難くない。聖女でもないの、悪女でもないの、ありのままのわたしなの! と詰め寄られると、まあオトコとしても、すんません、というしかない。ただ問題は「曼珠沙華でもない」の! である。こういわれるとさすがに引くだろうな。わたしだったら少しずつ後ずさりするだろう。こ、このオンナ、アブねえ。地球儀でもないの! で靴をはくだろうな。空気清浄機でもないの! ドアを開けます。鎌倉幕府でもないの! 走ります。言葉だけが追いかけてくる。東方見聞録でもないの! 段ボール箱でもないの! 逃げろー!

重松 敬子

特選句「東京は吾には異国星が飛ぶ」星が飛ぶが良い。私には、この発想が出来ないので、大変勉強になります。問題句「満月のどこかに水を捨つる音」こういう句は、私は気になるのですが、満月や、で切るべきでは ?

野田 信章

特選句「誓ひてはをののき微か稲の花」は「稲の花」の配合が適切で、季感とともに、その物の微としての本意が喩としてはたらき「誓ひてはをののき微か」の心情のうごきをも具体的に伝達させてくれる。この場合は、未知への希望をみたす一句として文語による書き方が適っているかとも思う。問題句は、上句が気にかかる次の二句である。「箍取れる我儘気儘生身魂」と「秋彼岸粋な有髪の正信偈」夫々に中句以下の文句の面白さがある。先ずは、ここを十分に生かしきるために夫々の上句の配合を工面されることを期待したい。このままでは勿体無い二句である。

小西 瞬夏

特選句「満月のどこかに水を捨つる音」「満月の」の「の」が理屈をゆらがせていて幻想的。「水を捨てる音」は日常生活の中では特別なことではないのに、このように書かれると、この水は命につながる水であると思えてくる。問題句「聖女でも悪女でも曼珠沙華でもない」なんとくなく魅力的で気にはなるのだが。このままでいいのか、という疑問が残る。どうしても理屈で作っていると思えてやや拒否感を覚えてしまう。

市原 光子

特選句「月下美人咲く産道をひろげつつ」月下美人の開花を見ていると確かにこのような感じがします。神秘的な現象を的確にとらえている句だと思いました。問題句「いくさまたどこかの国で稲を刈る」切れを上五か中七かと迷いました。いろんなことが同時に起こる地球上。でも、「武器よさらば」にしたいものです。

高岡 晶美

特選句「空蝉や祈りのあとの伽藍堂」、空蝉はいまは空っぽでもそこに確かにあった命のかたちを残しており、静かな生命力に満ちています。また、祈りのあとには目に見えるものこそありませんが、清廉な気であったりやはり力に満ち満ちている空間があります。程よい距離感の取り合わせで、清々しい気持ちにさせてくれる一句でした。「稲妻は宇宙へ映す生命線」、稲妻は生命線であるという把握に惹かれました。『稲妻は宇宙の生命線だ』という句であれば、きっと特選句にしたと思います。

谷 孝江

特選句「聖女でも悪女でも曼珠沙華でもない」全く私そのもの。はっとさせられます。特選句「夕花野ある黒猫のものがたり」ずっとずっと「ものがたり」続いてゆきそうな感覚にとらわれます。私的には好きな句です。

高橋 晴子

特選句「叱られて秋のカーテンにくるまる」小さい男の子?の拗ねた様がかわいらしく把握できた。秋が効果的。問題句「聖女でも悪女でも曼珠沙華でもない」オール否定で曼珠沙華が生きているかどうか、むしろ「聖女でも悪女でもない○○○○」最後に肯定出来るものを持ってきた方が句としては面白くなると思うが。

野ア 憲子

特選句「人体の芯まで青い霧の音」あらゆるものの存在を収束してゆくと、限りなく青に近づくと思います。それを「人体」に集約した作者の俳句眼、素晴らしいです。「霧の音」の下五も抜群ですね。問題句「原発が水平線に泛かんでた」インパクトのある作品です。原発のことを積極的に詠むのは、とても大切な事だと思います。ただ、渡辺白泉の「戦争が廊下の奥に座つていた」の型に、あまりにも似すぎています。最短定型なので、似た句ができるのは仕方が無いのかも知れませんが、こういう、強烈な風刺の句の型の模倣は、僭越ながら、ちょっと気になりました。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

鉄人

鉄人をはやしたてたる曼珠沙華
亀山祐美子
赤銅の鉄人五百秋駆ける
野澤 隆夫
鉄人のやはらかに積む草の花
高岡 晶美

稲穂

むせかへるほどの稲の香なりしかな
景山 典子
曇天にお日さま探す稲穂かな
漆原 義典

リボン

運動会リボンを胸に孫走る
漆原 義典
秋が逝く赤いリボンが前を行く
柴田 清子

髪切らば耳が尖ってゆく月夜
亀山祐美子
ちちろ鳴く月からやって来た少女
野ア 憲子
月香る讃岐の星は稲太る
中野 佑海

秋扇

一言が胸を刺す秋の扇かな
柴田 清子
飾られてしまへば秋の扇かな
高岡 晶美
言ひ訳は嶺にとどめて秋扇
景山 典子
後ろにはいつも日輪秋扇
野ア 憲子

桃あらふ人にも傷のありし夜
田村 杏美
桃剥いてけふ一日を終へにけり
景山 典子
桃白し過去を包んで実となりぬ
中野 佑海

釣瓶落し

いさかひて釣瓶落しの暮れにけり
野澤 隆夫
釣瓶落し桃色空色青赤黄
木 繁子
ずぶ濡れの十指釣瓶落しかな
野ア 憲子
べっ甲の櫛さすつるべおとしかな
亀山祐美子
人を待つ釣瓶落しの窓さみし
中西 裕子

仮面

星流る仮面どこかに置いてきし
田村 杏美
稲光り仮面の裂け目よりはしる
柴田 清子
十五夜の仮面を取りて現はるる
高岡 晶美

豊の秋

フォーチュンクッキー砕きにくくて豊の秋
田村 杏美
秋なれば山登りたし鳥見たし
野澤 隆夫

句会メモ

20日の句会、先ず、食欲の秋の話題から・・先月の俳句甲子園のサポートに行っていた田村杏美さんが松山の<フォーチュンクッキー>をお土産にくださいました。<句会の窓>で、田村さんもご紹介くださいましたが、ハート形のクッキーの中に<俳句恋みくじ>の一片が有り、参加者一同、大いに盛り上がりました。因みに、私のおみくじには<毛皮着てあなたのやうなあなたに会ふ>なんと「海程」の小川楓子さんの句が記されていました。岡山の高岡晶美さんや、久々に柴田清子さんもお元気な姿を見せて下さり、賑やかな句会になりました。上村良介さんは風邪でお休みでした。お大事に!!

『句会の窓』のコメントに添えられた、亀山祐美子さんのメール文に・・・先日の『四国羅針盤・俳句王国』での「俳句を作る」と言う言葉に違和感を覚えました。俳句は授かるものだと思っている私には、言葉遊びにしか思えない。席題、即吟の場では作るというより過去の引き出しを探るという感覚だろうか。不十分な句を差し出すしかないのが悔しい。そういう意味なら、集中し知識記憶を絞り尽くし、言葉の泉を汲み尽くした後に溢れるものを待つというなら、「作る」ことも一手かもしれない。・・とありました。興味深く、最後にご紹介させていただきました。私も、「生まれる」という思いを感じることがあります。芭蕉の敬愛した西行法師は、「一首を詠むとは、仏像を一体彫る思い」で創ったと言います。俳諧自由。色んな可能性を孕んだ作品に、これからも出逢って行きたいです。

来月の句会は、私が、俳句道場参加の為、11日の開催になります。投句締切は、9日です。慌しいですが、よろしくお願い申し上げます。

野ア憲子記
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