香川句会報 第51回(2015.06.22)事後投句

                

事前投句参加者の一句

パンドラの箱は仄かにほうたる掬う 大西 政司
焼茄子に生姜醤油六十路かな 稲葉 千尋
パリー祭釦のようなラクダの眼 久保 智恵
海知らぬ蚊よひとりねの吾を刺す 小西 瞬夏
砂漠の砂漠のさあばくや夏欅 KIYOAKI FILM
水ぬるむ死は真顔という能面 加藤 知子
長梅雨や楕円となってゆく心 三枝みずほ
ドクターの胃がんですネと聖五月 野澤 隆夫
乳飲子の早や舌打ちや夏木立 竹本 仰
ほーと口開く埴輪の里の蛍かな 野田 信章
縄文の丸き頭蓋や栗の花 重松 敬子
花石榴母は言葉を石にして 古澤 真翠
竹青し悪たれ口を思いっきり 矢野千代子
働く顔いま囀りとすれ違う 河野 志保
夏日負う作業場囲む野面積み<イサムノグチの作業場にて>  田中 怜子
ももすももクレヨンの声灯る家 三好つや子
きつとねと指切つた日の海酸漿  郡 さと
幸せを束ほどあげる額紫陽花 中野 佑海
夏椿空から誰かみているよ 木 繁子
行く時も去ぬ時も月見草の道 柴田 清子
白詰草縄文の風胸を打つ 高橋 晴子
さすらいのほたるなるらん買いましょう 武田 伸一
蛍火の太初の青さ生命線 若森 京子
芥とは初蜩の屍である 矛盾だ 上原 祥子
梅を干す百年そこに居るように 小山やす子
柏手を打つ万緑が立ち上がる 月野ぽぽな
弟よ右手(めて)にバリカン左手(ゆんで)に夏 伊藤 幸
土砂降りにひるみもせずに夏燕 景山 典子
濃紫陽花未完の石の熱あをし 亀山祐美子
石のこゑ木の聲たんと螢狩り 久保カズ子
旗立てて樹海へ伸びる蟻の列 増田 天志
向日葵や王者の如く風を聴く 藤田 乙女
天狼のうなじは白し蛍の灯 尾崎 憲正
ほの暗くどこか秘密の夏座敷 漆原 義典
万緑や石持つ胸にも青き日よ 中西 裕子
底抜けの笑顔やお仕舞のほうたる 野ア 憲子

句会の窓

月野ぽぽな

特選句「底抜けの笑顔やお仕舞のほうたる」言葉に言い尽くせないほど豊かで刺激的な香川吟行句会。参加させていただけて大感激です。この句は、ぽぽなの関西合同句会での句中の「おしまいの蛍」を通奏低音にしてくださった挨拶句と勝手に解釈し、うれしくいただきました。香川句会の一員でいられて光栄です。皆様これからもどうぞよろしくお願いいたします。

中野 佑海

特選句「パンドラの箱は仄かにほうたる掬う」。希望の光が如何に微かなものだったとしても、常に自分で灯していたいと思います。句の流れで上手く蛍を捕まえたと思います。特選句「底抜けの笑顔やお仕舞のほうたる」この度の五周年の記念塩江吟行の様子を一句で上手く表していると思います。本当に楽しんで笑って食べて学んで大満喫致しました。これも、武田編集長と野崎さんのお人柄の為された業と心より感謝致しております。どうも有難うございました。これからも次の五年を端っこからでも一緒に歩んで行けたら嬉しいです。

KIYOAKI FILM

特選句「蛍火の太初の青さ生命線」面白いなあ。一杯入っていて面白い。「生命線」は旨いと思う。「蛍火」を見たい。俳味というものを感じました。「生命線」が物語るのは、「青さ」ではなく、「太初」と感ずる。問題句「夏雲やパスタ一束湯に投ず」(重松敬子)・・「プレバト」なる人気テレビ番組。辛口講師・夏井いつき氏は興味深い人物だ。と、言うが、実はもう十年位前から「いつき組」に投稿している。誌名が「100年俳句計画」に変ってからは、けったいな句ばかり、送っているので、お馴染みである。いつき氏のテレビでの評を此の一句について、ふと思い出した。しかし、これは好いと言うのか、直せば文句なしというのではないか?と思う。その一方で、問題句かな?とも思いました。俳句を知らない為、あれやこれや言えない、出来の悪い俳暦二十年越すのに、僕はヘタウマ俳句どまり。自分が問題句である。

竹本 仰

特選句「さすらいのほたるなるらん買いましょう」なかなか粋な句ですね。ここで買おうとしているのは、さすらいという匂いなのです。このへん、うまく消費の心理を詠んでいると思いました。それに、さすらい、なるらん、買いましょう、と、古語、現代語のつながりが生き生きとしたリズム感ある良い味を出しています。最近、小生、1964年初版のある高価な詩集を買う決意をいたしました、限定二百部というところに惹かれたのですが、もう二度と巡り合うことが無いかも知れないという味が着いていて、そうなんです、この句も、このもう会えないかもしれない感、非常に濃く覚え、その空腹感を思い出しました。特選句「旗立てて樹海へ伸びる蟻の列」時事詠かと思います。甘味料ふんだんに匂わせた安全という名の危険物、自家薬籠中のものであるかのように取り扱っておられるお歴々は、まるで和気あいあいとしていて、お手柄の一つでも立てたいような熱い気配がむんとしていますが。われわれは、樹海へ行くのでしょうか?行くのでしょうね。カフカだったか、善人には悪人が見えにくいが、悪人には善人がまる見えで、だから手もなくだませるものなのだ、みたいなこと言ってたのを思い出します。それにしても、この「旗立てて」というところには、かつて張り切っていた人の好い小学校教師の面影が浮かんできます、なぜか。

景山 典子

特選句「ひからかさそれでもついてゆくことに」(柴田清子)・・「それでも」のことばに込められた作者の深い思いを感じます。「長く困難な、そして暑い道のりになるかも知れないが、それでもやはりついて行こうと決めた。」すべて平仮名であるところに女性らしいやわらかさも感じます。特選句「柏手を打つ万緑が立ち上がる」・・作者の強い祈りの気持ちに呼応して万緑が動いた、なかなか迫力のある句だと思いました。二つの文を用いた構成も面白いと思います。

尾崎 憲正

特選句「髪梳くや夏の渚にたれもこぬ」(小西瞬夏)ゆったりとした時間の流れを味わうことができます。温かみのある少し湿った潮風が心地よく感じました。 「夏の渚」と“な”が繰り返されるリズムがいいですね。下五のひらがな表現が、これまた絶妙です。問題句「白詰草縄文の風胸を打つ」白詰草と縄文の風の関係をイメージできませんでした。シロツメクサが伝来したのは近世以降ですし、よく判りませんでした。

小西 瞬夏

特選句「耳朶がみんな似ていて冷や奴」(小山やす子)・・「冷や奴」の(や)はいらないのでは・・・「耳朶」と「冷奴」の取り合わせ、また「みんな似ていて」という発見。日常の何気ない景の切り取りと取り合わせであるが、その響きあいのなかで、人間としての普遍性と、それと裏表でもある一人ひとりの違い、というようなものが連想される。

増田 天志

特選句「パリー祭釦のようなラクダの眼」祝砲を撃て砂紋果てるまで、

銀   次

今月の誤読●「さすらいのほたるなるらん買いましょう」。オトコだったらだれしも経験があるだろうが、ネオン街を行くとかならず「シャチョー、いいコいますよ。寄ってってよ」と声をかけてくるやからがいる。わたしもその道では豪の者である。「いねえよ」と無視して通り過ぎるのだが、これが「いい蛍ありますよ」と言われたらどうだろう。ヒョッとしたらついて行くかもしれない。んで、ほう、いい「ほたるなるらん」となったら「買いましょう」とならんとも限らない。だがどうも後ろ暗い気もしないでもない。まさかワシントン条約には引っかかるまいとは思うものの、稀少昆虫であることは確かだ。買っちゃっていいのだろうか。だが風流でもある。行きつけのバーに持っていくと、ママさんが「ねえ電気消しましょうよ」なんちていい雰囲気になるやもしれん。んー、やっぱり買っちゃおっかな。ただし昼間はよしたほうがいい。夜になって「あれ、光んねえじゃん」となってよくよく見ればマメハンミョウだったなんてこともよくある話だ。文句言ってやろうと思ってももはや遅い。なにしろやつは「さすらいの」蛍売りだからだ。

加藤 知子

特選句「 働く顔いま囀りとすれ違う」・・「囀り」というの季語の斡旋が、予定調和でもなく離れすぎでもなく、また重くもなく 軽すぎでもなく、新鮮でした。特選句「乳飲み子の早や舌打ちや夏木立」・・乳飲み子のその「舌打ち」が気になって気になって・・・・。「早や」と言って、やはり人間の子だわというか、自分の孫じゃわいとほくそ笑み、爽やかに楽しんでいる作者。問題句「己の面ムンクの叫びバナナ剥く」上5「己の面」は、わざわざ言わなくても。表現を変えるか別の言葉を持ってきてほしいと思いましたが、バナナとの取り合わせは楽しめました。

三好つや子

特選句「石のこゑ木の聲たんと蛍狩り」蛍の飛びかう神秘的でピュアな世界が、石のこゑ木の聲という表現により、強く伝わってきます。とても感動しました。特選句「縄文の丸き頭蓋や栗の花」丸き頭蓋・・・たぶん子どもの頭蓋骨なのでしょう。太古の野山を駆けまわる子のいきいきした姿と、その子を弔う若い父母の姿も目に浮かびました。栗の花が効いていると思います。「弟よ右手にバリカン左手に夏」夏に向けて弟の髪を刈っているしっかり者の姉を 想像。白南風を感じる魅力的な句です。        

古澤 真翠

特選句「早苗田や銀河に浮かぶ水の星」(尾崎憲正)・・青々とした早苗田の美しい様子から とてつもなくスケールの大きなロマンへと誘われるような句だと思います。爽やかで雄大な世界に引き込まれました。

漆原 義典

特選句「蛍火の太初の青さ生命線」蛍火の青さを生命線と表現したことに、感性の素晴らしさを感じました。

大西 政司

特選句「縄文の丸き頭蓋や栗の花」縄文人の頭蓋が実際は丸いかどうかはどうでもよい。言い切ることで納得させる感覚が良い。栗の花もよく効いている。特選句「夏帽子孫の語りは実直なり<平賀源内邸にて>」(田中怜子)吟行の実景。実感が良く描けた。ただ、夏帽子-孫なのか、夏帽-子孫なのか判然としない。源内の孫では実体にあわない(たしか7代目?)が、句としては孫のほうがしっくりくる。書き方に注意してほしい。曖昧が良い範囲ではない。問題句「弟よ右手(めて)にバリカン左手(ゆんで)に夏」右手に血刀左手にたずなおよばない、バリカンに夏では、弟の坊主頭で安易。季語を「夏」以外で再考してほしい。

郡 さと

失礼は重々承知のうえで・・ご本人がレトリック満載で自分の言葉に酔っているのは?。ご本人の説明がないと読みてに伝わらないのも?。詩 じゃない 俳句 (5、7、5)を忘れているのも?。多いような気がします。「母直伝の独りあやとり梅雨の宿」の (母直伝の)五文字にまとめるのを 怠っていませんか?。「海女の墓に誰が手向けしか百合白し」・・ (海女の墓に)の「 に 」を省略しても十分通じると思います。良い句だけど理屈っぽいのはいただけませんでした。悪しからず。→辛口のコメントを有難いです。定型を守ることの大切さはよく分ります。只、「母直伝の」は、七音ですが、ドラマが見えて来るようで、必要なフレーズだと、私は思います。

亀山祐美子

特選句「梅を干す百年そこに居るように」日常の豊かさ、平和の実感が伝わってきます。佳句。しかし、余りに散文的。「梅干すや」と詠嘆した方が余韻が生まれる気がします。特選句「柏手を打つ万緑が立ち上がる」明るい青空が見えてきます。気持ちのいい句です。問題点は「柏手を打つ」の‘を’が必要か否か。「万緑が」の‘が’が調べとしてはベストなの否か。好みの問題なのですが…。個性を際立たせるための俳句と散文の攻めぎあいが難しいところです。半年ぶりに海程香川に参加でき、皆様とお目にかかれて幸せな一泊二日でした。ありがとうございました。本当にお世話になりました。

 
野澤 隆夫

特選句「 白詰草縄文の風胸を打つ」→広大なクロバー咲く大地に太古の縄文の風が吹き渡る光景。スケールが大きいです。特選句「 ソーダー水猫おそるおそるにじり寄るり」→漱石の『吾輩は猫である』 がすぐうかびました。かの吾輩は「景気を付けてやろう」と飲んだビールで大往生。ソーダー水 だと大丈夫でしょうが…。

河野 志保

特選句「ほーと口開く埴輪の里の蛍かな」縄文の風景のような、大らかな雰囲気にひかれた。蛍に出会うとき、人も口を開けていそう。温かでちょっと可笑しい人間描写だと思う。

若森 京子

特選句「海知らぬ蚊よひとりねの吾を刺す」小さな命と対峙している面白さ。孤独ゆえに相手に対する愛情があふれている。「夏蝶やつっかけのまま居なくなる」(三好つや子)現代の社会現象を夏蝶や≠ニ軽く書いている。余計に深刻さが伝わってくる。

稲葉 千尋

特選句「柏手を打つ万緑が立ち上がる」金子先生の句碑除幕式のときの神主の柏手が真に「万緑が立ち上がる」でした。私には実感、実景である。「長梅雨や楕円となってゆく心」楕円でいただき「まなかいに鼬が走る鑑真忌」(三好つや子)鑑真忌がよき。「花石榴母は言葉を石にして」石にしてが少し弱い。「蛍舞うカーブシンカー宇宙旅」(漆原義典)カーブシンカーの発見。「暗緑や奥へ奥へと辞書点す」(若森京子)辞書点すが良い。「早苗田や銀河に浮かぶ水の星」水の星が良い。「夏蝶やつっかけのまま居なくなる」つっかけのままの日常性が良い。「弟よ右手(めて)にバリカン左手(ゆんで)に夏」リズムの良さ表記の良さ。「梧桐や昨日も今日も明日に替え」(古澤真翠)中七以下と梧桐のつくようでつかぬような良さ。「新緑へ後ろで扉の閉まる音」(河野志保)・・「新緑や」の方が良いように思います。→私は「新緑へ」で、外へ向かう圧倒的な力を感じます。このままが良いと思います。(野崎)

伊藤 幸

特選句「底抜けの笑顔やお仕舞のほうたる」死ぬ時にする身の自慢。最期に泣くか笑うか、私は思いっきり笑って死にたい。身内にも身近な人にもそうであって欲しいと願う。感銘を受けた句である。「焼茄子に生姜醤油六十路かな」焼茄子に生姜醤油は定番と思っていたが、数年前からマヨネーズでも戴いている。とろりチーズもOK。結構いける味である。既成概念打破!六十路よ未だ遅くない。「海知らぬ蚊よひとりねの吾を刺す」なにも独り者の血を吸わずとも若者が溢れているではないか。知らぬとはいえ何と哀れな…吾を刺す蚊にさえ愛着を覚える。作者の優しさに一票。「水ぬるむ死は真顔という能面」死に顔を客観的に能面として見る事ができる作者のクールともいえるその視点、共感は出来ないが 水ぬるむでほっと救われた。「風に素足はなてば内海は翼」(月野ぽぽな)何と爽やかな。目の前に景が見えて自分もやってみたくなった。内海でなくとも太平洋を翼にしてみてはいかが?「仏法僧ゆさゆさガーゼのような自負」(久保智恵)自負とは誇り、だが不確かな部分もある故ガーゼと称したのであろう。作者独特の表現の豊かさ、脱帽である。上手い!「芥とは初鯛の屍である 矛盾だ」初蜩のかすかな喘ぎにも似たような鳴き声。作者の前で誰かがその屍を塵として処分しているのだろうか?感性の鋭さと新しい表現に惹かれる。「風青し記憶の底にある殺意」(柴田清子)誰もが一度は持った事のある殺意。そうでなくとも死んでくれたらと願う事も殺意といえるのでは?ましてや若い頃は尚更…。その頃の自分を振り返ってみたりする。

小山やす子

特選句「旗立てて樹海へ伸びる蟻の列」この句の面白さは何とも言えません。「ビルの青蔦流れに乗れぬ者もいて」(三枝みずほ)は現代の社会を象徴しているようで哀しくなります。「縄文の丸き頭蓋や栗の花」この句は、栗の花が良く効いています。

武田 伸一

特選句「梅を干す百年そこに居るように」嫁いできて二十年くらいの中年の女性であろう。しかし、土地に、婚家にどっしりと根を下ろし、百年もそこに生きているように見えるのだ。「梅を干す」との具体にて女性の生きざま、たくましさを見事に活写している。以下、入選句。「乳飲子の早や舌打ちや夏木立」・・「舌打ち」の発見と諧謔。「まなかいに鼬が走る鑑真忌」・・「鼬」と「鑑真忌」の取り合わせの妙。「花石榴母は言葉を石にして」・・「言葉を石にして」の感受。「耳朶がみんな似ていて冷や奴」温かな家庭の切り取り。「夏雲やパスタ一束湯に投ず」生活実感の鮮やかさ。「蛍火の太初の青さ生命線」体感的アニミズム。「夏蝶やつっかけのまま居なくなる」現代の世相の一端、怖い。「向日葵や王者の如く風を聴く」独自の写実。「ほの暗くどこか秘密の夏座敷」どの家にも潜む暗部。「問題句」・・伝達性を無視した言葉の羅列、発想段階の独りよがりの句など、少なくなかったように思う。 「砂漠の砂漠のさあばくや夏欅」・・「砂漠」を重ねる意図不明、加えて「夏欅」はどこに?問題句「頭文字Mの大罪ところてん」(増田天志)・・「頭文字M」の人は世にゴマンといるが、その全員がどんな大罪を犯したのか?問題句「我が指紋は蛇に憑く文字街糞」(KIYOAKI FILM)・・「蛇に憑く文字・街糞・・共に疑問。意欲の空転、残念至極。「テレビの箱に衣はあるかと叫ぶぅ燕」(KIYOAKI FILM)意味は分かるが、詩的リアリティが欠如。

重松 敬子

特選句「ももすももクレヨンの声灯る家」子供たちが幼かった頃の、今とはちがった幸せを思い出しました。愛情を十分に伝えることが出来たかなあと、反省もこめて・・・・・・。問題句「水ぬるむ死は真顔という能面」この、水ぬるむが残念。良い句だと思います。

中西 裕子

特選句「パンドラの箱は仄かにほうたる掬う」パンドラの箱の意味はあまり知りませんが、希望の箱なんでしょうか。ほうたるのひらがなとカタカナの対比が面白いと思いました。仄かにという控えめな感じも素敵です。「父よあれは海水浴より消えたタオル」(竹本 仰)は、なにかドラマチックで以前「母さん僕の麦わら帽子はどこに行ったんでしょうか」みたいなセリフがありましたが、ふと思い出しました。「てきぱきと会話は進む扇風機」(河野志保)忙しく回っている扇風機とてきぱき、が合っていると思いました。6月の初吟行、とても楽しかったです。遠くからも来てくださってありがとうございます。野崎様お世話になりました。素敵な時間をいただきお礼申し上げます。

柴田 清子

特選句「働く顔いま囀りとすれ違う」この世に生を受けた、私達が『働く顔』に裏打ちされているのです。人は命ある限り何らかの働きに携っている。会社勤めと言う働き、専業主婦と言う働き、学校へ行く事も、病人になる事も、年をとる事も、全ては、その人に与えられた仕事なんです。自然のうつろい(囀り)は気付く気付かないは別に私達の前を通りすぎているのです。自然との関りの大事な部分を十七文字に納めていて気分がとってもいい句で特選にしました。

高橋 晴子

特選句「柏手を打つ万緑が立ち上がる」感覚的にとらえた心理を詠んだ句で共感。問題句「夏寒の会津人々に酒母生きて」(野田信章)・・人々に≠ニいう言葉が入ったために単なる酒造りの酒母だけではない何か、例えば会津の伝統の教え、「ならぬことはならぬのです」のような、会津独特のものを酒母に託しているような気もするが、それだったら酒母でなくても、もっと生きる言葉があるように思う。酒造りの酒母が生きているのであれば人々にはいらない。いずれにしても面白い句になりそうな惜しい句である。海程の句の感覚的な捉え方は楽しくて参考になるが、逆に、もう少し言葉に敏感になって欲しい。無駄なリフレインや変な省略や全く響きあわない単なる季語のとりあわせ。俳句の韻律と季語の持つ奥深さを大事にしないと俳句としてのよさはなくなる。自分自身の俳句への姿勢を反省しながら特に今回そんな思いを強くしました。

上原 祥子

特選句「縄文の丸き頭蓋や栗の花」遺跡から出てきた縄文人の丸い頭蓋の側に栗の花が白い花を咲かせている。栗の花の強烈な匂いはプリミティブな縄文人の在りし日の姿を彷彿とさせる。視覚と嗅覚の両方に訴える秀句。特選句「天狼のうなじは白し蛍の灯」大犬座の主星シリウスの漢名である天狼ですが、大空に浮かぶそれのうなじは白く、地上ではそれに呼応して蛍の灯が蒼く灯っている。美しい、スケールの大きな、また繊細な句です。問題句「青魚のなみだ滴たるセミヌード」(加藤知子)・・「青魚のなみだ滴たる」までは良いです。でも、セミヌードと続くと苦しい。感覚的な問題なのでしょうが、なぜか油っぽい句になってしまっている気がします。 『初参加のコメント』初参加の海程の上原祥子です。 句会というものに年に一度しか参加しないという状態が十年ぐらい続いていました。この「海程」香川句会で、選句力、コメント力を磨きたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

久保カズ子

先日は大変お世話になり有難うございました。心よりお礼申し上げます。十句選上手に言えませんが宜しくお願い致します。「海女の墓に誰が手向けしか百合白し」(景山典子)海女の墓への供華。「百合白し」がよかった。特選句「夏日負う作業場囲む野面積み」作業場の夏に向かっての様子がよくでていると思います。「黒南風や浦には浦の玉言葉」(野ア憲子)黒南風がよくきいています。特選句「黄金虫こんぴらさんの石の上」(月野ぽぽな)黄金虫とこんぴらさん・・いい句です。「荒々し風が好きなる夏蓬」(景山典子)夏蓬の様子がみえてきます。「きつとねと指切つた日の海酸漿」海酸漿・・なつかしく幼にかえった思いでいただきました。「弟よ右手(めて)にバリカン左手(ゆんで)に夏」坊主頭をバリカンでよくかってやりました。夏がいい。「土砂降りにひるみもせずに夏燕」力強い句です。「濃紫陽花未完の石の熱あをし」梅雨に咲く七変化とのとり合せがいい。特選句「泰山木座禅の後の眼力に」(高橋晴子)座禅の後の眼に泰山木の大きな向い花、すがすがしい句です。暑さに向かいます折、御身大切に。

三枝みずほ

特選句「ほの暗くどこか秘密の夏座敷」幼い時に訪れた祖母の夏座敷を思い出しました。夕方前の夏座敷、陽が少し落ちて、ひやっと涼しくて、静かで。この時間帯の夏座敷はどこか秘密めいた空間だったと共感しました。

田中 怜子

吟行合宿では、本当に皆さんに良くしていただきました。イサムノグチ、平賀源内、おもしろかった。夏の日を浴びたベージュ色の大地、いいですね。志度もゆっくり散歩したかったです。特選句「蓼科山いま雲を脱ぎほととぎす」(高橋晴子)地名もいいし、雲が切れて青空がでてくるような時間の流れを感じる。杉田久女の 「ほととぎすほしいまま」のように、ホトトギスの声が響き渡る清々しい感じがある。句を作った人の心境が反映しているのか「乳飲み子の早や舌打ちや夏木立」乳を与えている人と乳飲み子の密なる関係が浮かぶ。舌打ちをするのか・・・夏木立ちの風が流れてくるようだ。子の表情も目に浮かぶ。問題句「薔薇売りのまとわりつく手もしかして母」(久保智恵)薔薇売りのまとわりつく手というのが、意味がわからない。

藤田 乙女

42年前、鹿児島に小林秀雄氏の講演を聞きに行った時、知ることの大切さを実感しました。今、皆様の俳句を鑑賞させていただく機会を得て、自分の知識のなさを痛感し、たくさん学ばなければと思っています。これからも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

野田 信章

特選句「黒南風や浦には浦の玉言葉」の「玉言葉」とは特別な言葉を指すのでなく、黒南風の中の浦々の暮らしの中で日々生々と交わされる会話の中に宿るもの、この作者なりの言霊との出合いでありその把握であろう。盛んなる物質文明に対してのこれが文化だという批評精神の浦宇都あっての一句だとも読める。この度の讃岐旅吟とおもえる句々を拝読して現地を踏まえての体感に根ざした作句活動の大切さを再確認させられました。

野ア 憲子

特選句「柏手を打つ万緑が立ち上がる」見事な句またがりの効果。作者と地霊との交感を感じます。余談ですが、今回の吟行合宿の一週間前に開かれた「海程」関西合同句会で、「水音が咲いてるおしまいの螢」という句に遭遇しました。その句に触発されて生まれたのが拙句「底抜けの笑顔やお仕舞のほうたる」でした。大阪で出会った「おしまいの螢」のようなインパクトを揚句に感じました。「さすらいのほたるなるらん買いましょう」この、文語と口語の混ざり合った作品に注目しました。上五中七で、漂泊の螢の映像が鮮やかに浮かんでまいります。それを「買いましょう」と現代の言葉でさらりと引き受ける作者の言葉の斡旋力にただただ敬服しました。こんな冒険句を私もいつか創れるようになりたいです。

(一部省略、原文通り)

「海程」香川句会発足五周年特別企画  塩江・玉浦吟行(6月20日〜21日)

     

塩江吟行(20日)

気がせくも待てば海路のみなみかぜ
田中 孝
螢舞うカーブシンカー小宇宙
漆原 義典
山梔子やおんな住ひに猫多数
尾崎 憲正
扉の奥のとびら半開ほうたる
野ア 憲子
麦秋の瀬戸内淡し一筆箋
大西 政司
単帯兜太の螢呼び込みぬ
亀山祐美子
鏡田や涼風紡ぐ天の窓
中野 佑海
夏鶯石彫る生活(たつき)継ぎにけり
武田 伸一
六月の石の命は濡れてゐる
柴田 清子
樟若葉イサムの孤独卵石
田中 怜子
紫陽花や天の筆なる印象派
銀   次
旅の前父のうどんにみょうが添え
中西 裕子
石を積むこと息をすること涼し
月野ぽぽな
リズムもて鑿音響く青屋島
高橋 晴子
長生きの杖は俳句か螢狩り
久保カズ子

玉浦吟行(21日)

紫陽花の芯のあたりはいつも雨
柴田 清子
かなしみ灯る山桃の種ほどの
月野ぽぽな
ひと声にどっと出掛けし蛍の夜
久保カズ子
老鶯や男少き石の村
武田 伸一
姥目樫海女の気祀る千余年 
中野 佑海
秩父黒蟻源内像裸足 
大西 政司
巡礼の女涼しく灯をともす
景山 典子
遠ざかる遍路の鈴や夏の草
田中 孝
吟行と遍路が参る札所かな
田中 怜子
ひとつ実にひとつ散りある花ざくろ
郡 さと
巡礼に木立の陰や慈悲ならむ
銀   次
メグスリノキや炎天の暗くなる
高橋 晴子
源内へカッコウ大楠へカッコウ
野ア 憲子
あをになる一歩白シャツ風を生む
亀山祐美子
湯上りや世界の夏の先走り
李  山(平賀源内)

句会メモ

今回は、本句会発足五周年の特別企画で、いつものサンポートホール高松の句会場を飛び出して、塩江・志度の地で句会を開催いたしました。通信句会も事後投句とし、吟行後の作品も投句していただきましたので、いつもとは違った色彩があるように感じます。塩江の魚虎旅館では、今年もたいへんお世話になりました。金子先生の大書「讃岐塩江昼の螢をいただきぬ」を飾った大広間での句会でした。螢の飛び交う姿が美しかったです。平賀源内記念館では、館長の砂山長三郎さん、源内の生家では、平賀さんに、ご案内をいただきました。有難うございました。源内が、秩父や秋田と地縁が深かったことも知りました。

月野ぽぽなさん(ニューヨーク)、武田伸一編集長(千葉)、田中怜子(東京)さん、田中孝(兵庫)さん、大西政司(愛媛)さん、遠方からおいでくださり有難うございました。

今回の吟行合宿でも、ご参加の方々が、積極的に句会進行にご協力くださり、始終、笑顔笑顔の、熱い句会になりました。ほんとうに有難うございました。お忙しい中ご参加くださった編集長の講評、とても勉強になりました。また是非お願いできれば幸いです。眼を閉じれば、写真を撮ってくださった尾崎さんや、コピー機の不調に、電話機から一枚一枚コピーをしてくださった銀次さん、螢の宿での艶やかな佑海さんの舞姿が浮かんで参ります。珠玉の時間を、感謝です!

野ア憲子記
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